使いみちのない風景 -3ページ目

ON AIR FM!!

職場ではラジオが流れています。

私はJ-waveが好きですが、ここで流れているのはTOKYO FM。

今流れているのはOASISのスタンド・バイ・ミーです。懐かしいーーー

ラジオを聴いていると、時間が感じられるのに気づきました。

クリスマスの曲が流れてくると季節を感じるように、朝とお昼と夕方と。

何だか一日の中にもめまぐるしく情緒があります。

でもラジオが与えてくれる懐かしさも時には酷。

音楽って、どうしても人の記憶とそこにある想い出に結びついていますよね。

些細なものからどうしたって記憶からなくならない強靭なものまで。

普段は思い出しもしない、けれど脳に焼き印を押されたくらい強く、

とてもとても大きい(多くの場合負の)思い出に、

更に強く結びついた曲が流れてくることだってある。

自分で用意して、オーディオにセットして聴くのとはぜんぜん違う。

それが不意にラジオから流れてくると、事故の衝撃みたいに一瞬頭が白くなって、酷く戸惑い、

泣きたくなるくらい切なくなる。

私は仕事をしていただけなのに。

そういう時の自分はまるで、大袈裟に言えば

記憶をなくした殺人犯が、自分が人を殺してしまったことを不意に

思い出してしまったときのような顔をしているんじゃないか、と思ってしまう。

ラジオは愉しい。

でもそれにしたって私にそんな顔をさせるのはラジオくらいのものです。

美味しい料理とお酒を糧に

普段あまり書かないけれど、

今日は美味しいもののことでも。

というのも書かずにいられなくなるほどおいしいものに出会ったからです。


246を三軒茶屋の駅から若干池尻方面に戻った脇道。

その地下にある、「糧」というお店です。

店長さんと若い板前さん、お2人とも鹿児島のご出身らしく、

薩摩焼酎の種類の多さは生半可ではありません。

全然わからなくて決めあぐねていると、好みを聞いて

とっても細かく美味しい銘柄や飲み方を勧めてくれます。


お料理も鹿児島の郷土料理からお刺身、燻製など

拘りの薩摩焼酎を引き立てるものが揃います。

中でも今回頂いたもので美味しかったのが、

いぶり豆腐。お豆腐の燻製なんて珍しいけど、香りがとってもよくて

焼酎がすすみます。

それに 鮎と岩のりのライスコロッケ。

何か想像つかないですよね?

想像がつかないから頼んでみよう、ということになって頼んだんです。

そしたら・・・

めちゃくちゃうまい。

ご飯は雑炊のように柔らかくなっていて、

ふっくら焼かれた鮎の身と岩のりの磯の香りが絶妙に・・・・・・・・・・・・・・

とにかくおいしい。

うまく伝えられないのでとにかく食べて。

ほんとに食べて。

ほっぺた落ちます。


一品一品が、凄く丁寧に、大事に創られて出てくるような雰囲気で、

目にもおいしい。更に口に運んで、味わって、

美味しいって、なんて幸せな感覚なんだと再認識するような。

そういう過程の一つ一つに満たされてく。

久しぶりに、胃袋が喜んでる!と思いました。



音は語る

音楽ってノンフィクションだ。

それが創られた者によって奏でられる時、一段とそれはリアルになる。

ジャズでも、ロックでも、ブルースでも、ゴスペルでも、インストゥルメンタルでも。

ライブでは格別、その趣はいや増す。

奏る側と客とが相対して、

そこにはほんとうで無いものが顔を出す余地など一片も無いほど、

ノンフィクションで、リアルだ、とおもう。


“Life”というバンドのストリートライブを見ていたら、ふとそんなことが頭に浮かんだ。


era



たとえ歌詞が後から書かれたものでも、勿論。

それがカヴァーであっても。

オリジナルであればなおさら。

上野千鶴子が「ミッドナイト・コール」のなかで

ドキュメンタリーが「事実にもとづいた記録」でなく、「事実についての、

当事者の物語の記録」だということを示した制作者について書いていたけど、

たとえば、そういう感じだと思う。

音楽を作る人、その人自身とその経験と音楽観について、

その音が生まれたときの、歌詞が生まれたときの、そこにあった出来事や

作る人の心の機微をかさねた物語の記録、と言ったら強引過ぎるだろうか。

でもそういう耳を以って聴いたら、音は何かを語りかけてくる。


そんなことを考えていた。

ストリートライブにはなぜだか刹那を感じさせる力がある、とか。

そのバンドのライブを聴きながら、

夕暮れのちょっと涼しくなった銀座で。





日々のたわごと


同居人が北欧へと旅立って1週間。

3週間の予定でスイスから入り、ノルウェー・フィンランドと

まわるようです。

若いのになかなか渋いチョイスですね。

ラップランドなら行ってみたいな。

せっかく北欧にいくならとことん北上してきて欲しいです。


久々の一人暮らし気分かと思いきや、

風邪にやられました。

喉は何も飲み込めず、動くたび頭を岩石でかち割られているような痛みが走ります。

3連休も寝て終わるのか・・


この機会にゆっくり本を読もう、と思っても

図書館に行く気力も沸かず、

Mが旅立ち際に「私がいなくても寂しくないように」と

残していってくれた漫画たち

「のだめカンタービレ」「ごくせん」「リアル」を鼻たらしながら読破。

このチョイスもなんかすごいバラバラ。

バラバラだけど、どれもおもしろい。

でも3週間分のおやつを2日で食べちゃった気分。






弦巻茶屋

tsgdr


弦巻茶屋です。

いつか書いた、ふるい給水所の裏手にあります。

見た目は、よく手入れされた純和風の一軒家。

表には「弦巻茶屋」の表札と、黒板に書かれたその日のメニューが。

門をくぐり、庭を横目に石畳の上をすすみ、引き戸の玄関をがらがらっと開けると、

家の中はちょっと想像していなかったような光景です。



これが、このためにわざわざ建てたものでないなら

相当ふるいだろうなと思わせる寝殿造りの四畳半と、

残りの部屋をぶち抜いて広く作った一間に

モロッコ製の家具や照明、インテリア。それが妙にしっくりしていて、寛げる雰囲気なのです。

四畳半の方は床が畳で、縁側に腰掛けて庭に目をやると、紫陽花が咲いたりしていて。

静かで、風が気持ちよくて、

お店だからさすがに出来なかったけれど、寝転がりたかった。

ほかに楓や松と四季の樹や植物がそれぞれあり、それに灯篭もあるので

秋も冬も、雪が降っても庭の眺めが楽しめそうです。

一週間に一度、ここでゆったり3時間くらい過ごす時間があったら幸せだろうなぁ。


いただいたのは、コーヒーとケーキだけだったんですが、ご飯も美味しそうだった。

メニューはパエリアやリゾット、スペイン風オムレツ、

カルパッチョやグリエといった趣向のようです。


夜は外からしか見ていないけれど、

庭にもライトが灯ってまた雰囲気がかわります。

行ってみたいな。

桜新町の駅からも駒澤大学の駅からも遠くて、かなり行きづらい場所ですが

そのせいか?客層も落ち着いていて、ほんとに全てが見事に融合してる、というか。

目印は給水所です。

縁側で

うーん、また滞っている・・

ちゃんと書こうと思っちゃうと、なぜか壮絶な気合と労力を必要とするので

なかなか書きだせないでいます。

サッカーネタでだいぶさぼりましたけど。


書きたいことはたくさんあるのに・・・

ちょっとみせちゃおうかなー


tsgdr


じゃん。

カフェです。

縁側がね、いいんです。

詳しくは次回。

弦巻にも、いい店ありますぜ・・・・

アブダビの夜

                                                       ///////////


やりましたねー 快勝です 

まずは予選突破おめでとう日本!

ということでコンフェデでもわくわくさせて欲しいです。

ばんざーい!

ユースも頑張れ!


YTUUUUUUUUUUU

バンコクの夜明け

CGFHDFA



さあ。

きましたよ。

明日は血湧き肉踊るバンコクでの一戦です。

写真は懐かしのジョホールバルですよ!野人です!

「W杯の出場を決めたゴール」って、ちゃんと考えると凄い。

値千金とは言うけれど  ほんとのほんとに、

例え長年代表を張っていたってそうそう決められるものではありませんよね。

生涯の栄誉だろうなぁ。

日本のように、本大会に出ることすら一筋縄では行かない国では、

本大会でのゴールより貴重な気がします。


あれからもう8年。

出場県獲得が明日、見れるのでしょうか。

勝ったら勝ったで、中村とか中澤とか、今回の予選の立役者

(個人的にそう思ってるだけ)だった

選手を欠いての出場権獲得の瞬間というのも何だか残念。

中澤はベンチにいるだろうけど・・


それはちょっと悔しいので、イランとの天王山にベストメンバーで挑んで、

逆転の一位通過。これです。

ホームだし。


コンフェデもかなり楽しみなんですが、時間がなぁ・・







残像@カフェ

家の近くに、割といいネットスペースを見つけたので

今日はそこから書いています。

そこは東京の人々のカフェ。

「TOKYO PEOPLE'S CAFE」

シンプルな名前です。

今となってはちょっと懐かしいクラブジャズがかかってます。

店内の雰囲気もなかなか良く、これからちょくちょく来そうです。


お店の中には銀行まであり、不思議です。

少し大きめの掲示板があって、

「英語教えます」とか、

「子犬貰ってください」とか、

「大人のためのピアノ教室」とかギャラリーのフライヤーなどが

所狭しと貼ってあって、

ケーキの専門学校に通っていた頃、

学校の近くにあってしょっちゅう行っていたBEN'S CAFEを思い出します。


オーナーが外国人らしく(ベンさん?)

お客さんも外国の方が多くて、雰囲気はアメリカの片田舎、

太ったおばさんがどすんと腰を据えて切り盛りしていそうな、

素朴で、薄暗い店内にカラッとした陽気さのある店でした。

そこで働いている女の子達は日本人ですが

何ともいえない純朴さを醸していて、またいいんです。

そこは奥の壁一面が掲示板のようになっていて、

すぐ脇の席でアメリカンチェリーのトライフルを食べながら

その途方もなく様々なメッセージを端から読んだものです。


それ以外の壁はぐるりと、一週間くらいごとに

代わる代わる誰某というアーティストの絵や写真がかかっていました。


TOKYO PEOPLE'S CAFEのアイスカプチーノはいたって普通です。


先日、世田谷通りを自転車で走っていたら

通り沿いの、ペンキで壁がでこぼこに塗られたちいさな建物に

掲示板がかかっていて、

そこにはノートから、デスクトップから何台かの中古の、

でもそんなに古く無い型のパソコンの写真と

phsの番号が書かれたものと

「windowsXP、word、excel インストール済み」

「故障など 一年間保証」

と書かれた紙が貼ってあります。

その値段は2~3万円。

これって信じていいですか?



母の買い物

母が家を買った。

随分と思い切りのいいことをする人だ。

けれどいざ契約というときになって不安になったらしく、

一度見て気に入ったというその家を

二度、三度と見に行くのに私も付き合った。

安曇野の、小さな家と小さな畑。

風通しが良く、敷地の前には小さな並木道もあって、

家の周りは時季になれば野生の花が咲くということだった。

母の終の棲家になるであろう場所としては、とてもいい気がした。


父と別れ、祖父の家に身を寄せていた頃からの母の希望が、

子供たちがいつでも帰ってこられる家と、

自分の耕せる小さな畑を持つことだった。


現在はアパートで一人暮らしながら、車で30分ほどの農場に勤めている。

内に篭もるのが強い分、まるで反動のように行動力のある人で、

祖父の家にいた頃は離婚のことでくよくよと悩んでいたものだけれど、

一人になってからは旅行だ何だと出かけたり、竹細工を習ったり

心配して無理をするなという娘たちの言葉も跳ね除け農業の仕事に戻り、

挙句に予定より随分と早い家の購入。

有機農法もこれから本格的に学びたいと言うし、終いには

「お母さん合気道習おうかと思って」などと言い出す。

私の持つやけっぱちのような行動力も母親譲りかとは思っていたけれど

齢50を過ぎてこのバイタリティたるや、とおののいてしまう。


母がふさいでいた頃はよく祖父の家に行って顔を見せた。

「祖原のおじいちゃんち」と呼んで小さな頃は盆・正月と必ず訪れた

その家に行ったのは久しぶりだった。

縁側に腰掛けて見る庭の松やツツジ、ぎしぎしと鳴る板張りの黒い床。

幼い頃はそれが恐くて離れの部屋には入れなかった虎の置き物も、

まるであの頃から1mmも動かしていないかのようにそのままだ。

しんとして涼しい、家の中の気配

静まり返った田んぼ、その向こうの山から時々聴こえる鳥の声

ここだけは時が止まっている。

その感覚は、生まれ育った家とは全くべつの種類の

けれどやはり圧倒的な懐かしさをもたらしてくれる。


東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

という、私が生まれて初めて覚えた三十ひと文字が織り込まれた

暖簾もその場所から変わらずに掛かっている。

私の記憶にあるおばあちゃんという人は後妻さんだ。

妻を二度もなくしているのは祖父の方なのに、

米寿を祝い終えたいまも忙しく老人会のことで駆け回ったり

いつでも庭の手入れを怠らない祖父の気丈さというものが、

母に受け継がれていたのかとふと思う。


いつか私が子供を連れて母の家を訪れるようになり、

その子にとっての「安曇野のおばあちゃんち」が優しく、懐かしいものに

なればいいと願うと、少しおかしく、何故か寂しく、

時の流れってそういうものなんだな、としみじみ思ってしまう。

母の買ったものは、ただの「家」というそれ以上の、

なにか別の大きなものである気がしてならない。