使いみちのない風景 -5ページ目

かえりみち







春はすぐそこ。

ひとりで乾杯!

最近、やっとビールがおいしい。
というか とっても美味しい。
その昔は缶1本で吐いてた私が
お店ではじめにビールを注文し
仕事のあとのビールは至福だなんちゃらとか言ってみたり、
挙句にコンビニで買って帰るようになるとは・・・
ネアンデルタール人がクロマニョン人になるレベルの進歩だ。
「ビールなんて飲む人の気が知れない」
とのたまっていた私の気が知れない。

ビールがおいしいと、いつもよりちょっと夏が待ち遠しくなるね。

自戒と振る舞いと

ある人から「素行を正せ」と言われて、
自らの素行について見直すということを
日常の生活の中で、ほとんどしていないことに気づきました。

普通は皆しているものなのでしょうか?
いいきっかけなので考えてみます。
・・
・・
・・
考えてみました。
あれがいけない、これがいけないと
自発の行為に多く問題があるように思いますが
どれもこれも24にもなって改めて「直そう!」
と決意するには当たり前すぎることばかりで
今までの自分に少し失望します。

自分の行為に自覚的でいようと 
他人に迷惑を掛けることや 
無意識に他人を傷つけてしまう事に
もう少し敏感になろうと

ブログを始めた時点で解っていなければならなかった事ですが、
冗談としてや議論の場では言えることでも
一方的なコメントとしてそれを言うのは
相手を傷つけたり、不快感を与える言葉があることも。

こんなにも発展途上
そのことにすら気づいていない

自分を戒めるのは、
自らのとても嫌な部分と顔を付き合わさなければならない行為で
へこむし、しんどい。
それが今まで行ったふるまいの代償だと思うと
益々やるせなくなります
何だよ、あたし、と。
けれど必要

振る舞い といえば
前に、年上の女性に
「大人の女の定義ってなんだろう?」と聞いたら
「そういうふるまいかなぁ」と返ってきて
ちょっと納得したことがあります。
他人を気遣って、格好よく振舞えるおとなに憧れます





ふたりが老いても

「君に読む物語」

アメリカ南部のある療養施設に、
初老の女性がひとり暮らしている。
彼女は痴呆により、過去の想い出を全て
なくしてしまっている。

そんな彼女のもとに、
デュークと名乗る男が
物語を読み聞かせに来るようになる。
昔アメリカ南部の小さな町で、
ある夏に出会った若い男性と女性の恋の物語だ。


そして物語はその2人が出逢った過去へと遡る。
ノアは町の材木置き場で働く、いわば下級層。
アリーはひと夏の休暇を過ごすためその町を訪れた、良家の子女。
ともすればどこにでもありそうな、
身分という壁に隔てられた恋の話だけれど
何年もの歳月を凝縮し、その中の局面が切り取られ描かれているからか
既視感はなく、新鮮な感覚でその展開を見守れる。
そしてそれを聴く初老の女性と、デュークとの物語。
2つがリンクしていく。

古き良きアメリカ南部の匂いだとか、
方や移ろい、方やもがきながらも貫かれる気持ち。
父と息子、母と娘、
年老いた夫婦の際限のない愛
(自分が老いても夫をあんなふうに愛せるだろうか?)
そこに隠れる苦悶、
水面も空も見渡す限り赤く染まった、雄大な湖畔から望む夕日の情景。
(これを見られただけでも劇場に行った価値があった)

善も哀も純も、きれいなものがちゃんときれいに描かれていて、
素直に涙させられる。







雪、晴れ、そしてまた雪

昨日の吹雪が嘘のように、凄く春らしい天気になったきょう。
陽にあたってぼんやり散歩とかしたかったなぁ
外はもう夜。


季節の変わり目は天気もめまぐるしく、仕事もめまぐるしい・・・
雪、晴れ、そして明日はまた雪。
読売新聞の記事によれば
気象庁は「3月に都心部で2度も雪が降るのは珍しい」と
発表しているらしいです。気象庁。
軽くつっこみたくなりました。

気付けばひな祭りも過ぎ
年が明けてからがあっというま。
一月は逝く
二月は逃げる
三月は去る
四月は??

ところで全然話は変わりますが、
私よくだえもんからメールを貰います。
この間も携帯を変えたので、お知らせしようと思い
選りすぐりの数少ない友人などにメールをしていたら、
5回くらいだえもんが登場しました。
寂しい。

そんなこともあり、
あれ大体にして「だえもん」じゃないよな
などと言うギモンもあり、調べてみたらデーモンでした。いかがわしい。
それと同時にだえもんからメールを貰った方々の
だえもんへのお返事を集めたサイトなんかも見つけたのですが
ちょっと面白い。がんばれ、だえもん という気分になります

日頃だえもんのお世話になっている人は是非。

恵比寿の月

もっともっと、自分の直感に従って生きてもいいのではと思います。

でも「直感」と「衝動」は別物で、
今はたぶん衝動に翻弄されて、直感に気付く事ができていない
という気がしています。

衝動は外へ向かって放出されるべく生まれ、
直感は、自分の中で生まれ自分に働きかけるものかな
という感じがするので 
自分と向き合っていないと気付けないのかも。

少し疲れて、望まざるものばかりが頭の中に
これでもかと詰め込まれているような感覚があります。
こういうときは郷里へ帰るのが一番だ、と知っています
こういうのは衝動でしょうか?

「音楽は国境を越えるよね」という話

Mが先月、カンボジアへ行った時の話。

ベトナムを1週間旅行したあとで、
アンコールワットが見たい!と
カンボジアまで足を伸ばした。
地雷が危険な為、遺跡を見るのにもガイドをつけたほうがいい、
ということで雇ったガイドさんが、
終始ムスっとしていて義務的な話しかしてくれない。
案内のおわりに、「お礼に」とMとその友人が
日本の歌を歌った。「てぃんさぐぬ花」
アカペラで、カンボジアの空の下で。

その光景を想像しただけで私としては胸に迫るものがあるけれど、
それまでニコリともしなかったガイドのお兄さんは
Mと友人の歌ってくれた、初めて聴いた日本の歌に心を開かされ
それからカンボジアの歴史の話や、自分の話をたくさんした。
歌も歌ってくれた。
別れるときは格別の笑顔で手を振ってくれた。

Mがカンボジアとガイドの兄さんのココロに残してきた音楽の話。

コマザワンヌの休日

引越しが決まった!!
全然知らない人とシェアするのも
あんまり出来ない経験だし面白いかも
という反面
盗られて困るものなんてないけどこのご時世、やっぱり不安・・・
とかなんとかやっているうちに期限が近づき
これは更新するしかないのか?
と思っていたところに舞い込んで来た朗報。

名乗りを上げてくれたのは、
プロフィールに貼り付けてある私の絵を
以前に書いてくれた友人M。
宮古島出身。

とても面白いひとで、音楽・服・本の趣味や興味のあることが
ほとんど一緒なので楽しみ。
晴れた休みの日には、
駒沢公園で半日ブラブラしてても付き合ってくれそうな子だ。
ゴーヤちゃんぷるとかも作ってくれるかもしれない。
そして酒豪。寝る時間を削ってまで飲んでいる。
まずい予感


新居は駒澤大学駅。
これではほんとに宇宙・日本・世田谷になってしまうので
サブタイを変えなくては・・

春の月

今日関東では春一番の襲来。
家の外に出た瞬間の暖かさに
一気に春が近づいていたことを思い知らされた。

もうコートを着ない人や、道端に生え始めたみどりの草や
目にするもの、肌で感じる陽気に
自分の奥にある春の記憶をつつかれて、
「春」が実感に変わる

梅林 寒桜 つぼみ 朝霧
あぜ道 ふきのとう 陽だまり
また春が来る

学生の頃に滲み付いた感覚なのだろうが、
生活という尺度でみると
一年は春に始まり、春に終わるという気がする。
春の訪れを感じると、
暖かくて、花が咲いて、緑が芽吹いても何故か寂しい気持ちに
なるのはそのせいだろうか。

冬から春へ。
空気が冷たくて、身を切るような寒さのなかで
温かい缶コーヒーにすがりほっとしていたのに
自分を取り囲む陽気への移り変わりについていけず
季節に追い越されてしまったような気になるからかもしれない。
 
そういう春の始まりは、
夜になって寒さの名残が顔を出すと
部屋で暖房をつけあたたまりながら、
少し安心してしまう。

2月19日

またまた忙しさにかまけてさぼってしまっています
書きたいことはいろいろたまっているのに・・・
放置してごめんね、ブログちゃん。

疲れた自分では書きたい文章が書けません
リフレッシュ て 最近聞かないな、そういえば・・・
とにかく骨を休めてから
万事は体勢をととのえてから。