音は語る | 使いみちのない風景

音は語る

音楽ってノンフィクションだ。

それが創られた者によって奏でられる時、一段とそれはリアルになる。

ジャズでも、ロックでも、ブルースでも、ゴスペルでも、インストゥルメンタルでも。

ライブでは格別、その趣はいや増す。

奏る側と客とが相対して、

そこにはほんとうで無いものが顔を出す余地など一片も無いほど、

ノンフィクションで、リアルだ、とおもう。


“Life”というバンドのストリートライブを見ていたら、ふとそんなことが頭に浮かんだ。


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たとえ歌詞が後から書かれたものでも、勿論。

それがカヴァーであっても。

オリジナルであればなおさら。

上野千鶴子が「ミッドナイト・コール」のなかで

ドキュメンタリーが「事実にもとづいた記録」でなく、「事実についての、

当事者の物語の記録」だということを示した制作者について書いていたけど、

たとえば、そういう感じだと思う。

音楽を作る人、その人自身とその経験と音楽観について、

その音が生まれたときの、歌詞が生まれたときの、そこにあった出来事や

作る人の心の機微をかさねた物語の記録、と言ったら強引過ぎるだろうか。

でもそういう耳を以って聴いたら、音は何かを語りかけてくる。


そんなことを考えていた。

ストリートライブにはなぜだか刹那を感じさせる力がある、とか。

そのバンドのライブを聴きながら、

夕暮れのちょっと涼しくなった銀座で。