お姉ちゃん、と。 | 使いみちのない風景

お姉ちゃん、と。

今日は2番目の姉の誕生日で、おめでとうとメールをした直後

1番上の姉から珍しく着信。

暇を持て余してかけたらしく、他愛のない内容だったけれど

今日は姉づいている1日だ。

生まれたときから、姉が二人いた。私は三女だ。

姉という存在があるのはなかなか楽しい。

2人もいると、その比較も面白い。


化粧も音楽も本を読むのも、好きな男の子への接し方も

処世術のショも、全部姉から教わった。

実践できているかはべつとして。

顔が似るのはDNAのせいだろうけれど、

考えることまで似てしまうのは、私が姉たちの背中を追いかけ、

真似をし、育ったからだろうと思う

4年ぶんと2年ぶん、私の前には姉が歩いていて

違った道を通っていても姉の轍はいつでも見つけることができたし、

私が望めばそこを通れた。


当然だけれど3人とも性格は違い、血液型もバラバラ。

一番目:A・・・しっかりものの長女 

二番目:AB・・・微妙な立場の次女

三番目:B・・・奔放な三女

なんて、分かりやすい姉妹の図が目に浮かぶ。

年上の、何でも相談できて頼れる他人を喩えて

「姉のような存在」と言うけれど、これがそんなに単純なものではない。

喧嘩をしても姉だけ怒られて気まずい思いをし、

姉が無茶をして親とモメれば取り持ち、

姉が悩めば励ましには気後れがつきまとう。

姉の結婚式には歌を歌わされ、

そして真似を卒業し自分を持って、いくつになっても、

時々妹らしさをそこかしこに散りばめながら姉を頼る。

妹だって大変なのだ。


逆に姉を姉でないものに喩えると、母のようであり、

気の置けない女友達でもあり、時として自分の分身のようでもある。

それに憧憬と、取り去りきれない畏敬の念をも含んだ

そんな複雑な感情をこめて、

妹は「お姉ちゃん」と呼びかける。

年をとって、私たちが周りに「お母さん」だの「お婆ちゃん」だのと

呼ばれるようになってもきっと変わらないこの呼称に、

愛しさと安心を覚えます。