年の初めの正念場 | 使いみちのない風景

年の初めの正念場

25歳、未経験。関連スキル無し。

面接という場所でこれほど私自身の職務能力を

客観的に決定付けるものはありません。

自分のことながら私自身を大いに悩ませる、

これ以上はない不安要素です。


それでも、25年間生きて学校にも行き、曲がりなりにも仕事など

していたわけですから、希望する仕事の職種が未経験であっても

何かしらの経験はあるのでしょうが、

それをうまく、相手の会社にとって有益たり得る能力、経験

ということに結びつける技術も無いと来ています。

何かしら使えそうな資格を取ろうか、と思案しながら

とにかく人間性とともにそれをアピールする会話力を磨き、

「この人とまた会いたい」と思ってもらえなければと切実に考えています。


履歴書を書くという行為は、

当たり前のようにあっちへこっちへと蛇行している、今まで歩んできた道を

無理やりにまっすぐ修正して、自分の人生に辻褄を合わせる作業のようで

少し気が滅入ります。

それを否定するところから始まる履歴書書き、というのが

そもそも間違っているのかもしれませんが。

たとえば中華。

相手が食べたいものがフカひれであるとして、

こちらはというと何と餃子の皮なんだけれども、

餃子の皮をフカひれに見立てていくら姿煮にしてみても

本物のフカひれに敵うわけが無い。だったら餃子の皮を一番おいしく

食べてもらえる料理法で、そう、餃子!

餃子を作って、フカひれじゃないけど、これだってうまいよ、と

そして餃子がいかに栄養価が高く、滋養強壮、疲労回復にも効果があり

嗜好性も抜群、でも安価。中国のみならず日本の食卓にも欠かせない

万能料理である、というのを相手に説明し、説得し、

ついには食べさせてしまう。

方法論でも何でもありませんが、例えるとこういうことかな、と・・


それでも、「諦めることをやめた」ら、

随分と楽になりました。

一旦諦め、その苦悩を知ると、

諦めず、これがダメでも次は決める、と意気込んで

ひとつひとつ進む作業――向かう方向がひとつに定まって

ひたすらそこへ挑戦する、というシンプルな努力が

こんなにも悩まなくて済むものか、と改めて思い知らされます。


そのおかげか。

あんなにも悶絶して書いた履歴書を持って臨む面接の方は、

楽しい・・と言ってしまうと語弊がありますが、何でしょう。

相手が変わる分、面白い。

始めから大きな挑戦だと覚悟しているせいもあるけれど、

扱き下ろされ、軽くあしらわれ、伝えたいこと、その半分も伝えられなくて

ああ、今回も駄目だったかなと思っても、

そこから必ず得るものを得て帰る道すがら、ひとつ教えて貰ったと喜べる。

不謹慎にもその足取りは軽いのです。


とりあえず、昨年から今年への宿題は

「自分の未来に対して、他者に対して、

どれほど、開放的に、愉快に応接する用意ができているか」。

凄く噛み砕いて言うと、Are you ready? で イェーイ!! です。
皆さん、できてますか?