再開、そして欠陥という名の個性 | 使いみちのない風景

再開、そして欠陥という名の個性

ちょっと放置してたら、もう何でもいいから何か書きたくて

たまんなくなってくるものらしい。

ゆっくり再開します。

的確なつっこみを入れてくれたスタァ、

それに見ててくれた方々に感謝を。ありがとう。


いろいろ生活が不安定で、念願のパソコンをゲットしたにもかかわらず

ネットが繋がれていないのでソリティアばっかりやっています。最近。


そんなわけで、今日は かの本田宗一郎をして

「欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ」と言わしめた

人の「欠陥」という個性に焦点を当ててみよう!


鷹揚なつもりでいて、実は極めて偏狭。

それに加えて、筋金入りの独りよがり。

自由人でありたいと声を張り上げるくせに

社会から必要とされたい、などと密かに思っているのだから、

何ともせせこましく器の小さい自由人だ。

夢追い人にもなれず、犠牲を払って手に入れた現実の中で

自己の役割を遂行する大人にもなれず、

いつまでたっても理想と現実を天秤にかけながら微妙なバランスで

折り合いをつけていく、といったみみっちさ。


それでも、これが私が私であるところの所以だ、と自負したい。


本田宗一郎さんは何しろホンダの本田さんなので、

「欠点」と言う部分を「欠陥」と敢えて言うところも

ああ、やっぱりホンダだなぁ と思わされてしまうけれど(R25から引用)

車に限らずちょっと調子が悪くてポンコツの機械類って

たまにイラついて無生物相手にアホみたいに罵倒しながらも

やっぱり応援したくなっちゃうし、

その出来損ないっぷりが可愛くて手放せなかったりしませんか?


しかし本田氏の言葉の真意を読めば、

紛れもなくそういうことを言いたいのではなくて、

その欠陥をも活かしてしまうことが出来て初めて特徴と言えるのであって、

活かせる欠陥がたくさんあればそれこそそいつに代わる人材はいない程の

風変わりなエキスパートになるでしょうよ。

つまり私のように自分の欠陥をあげつらい

「どうよ!」とふんぞり返って後はぐうたらしているというのは

ただの勘違い、それどころか欠点の多い怠け者でかつ勘違い女という

何とも救いようのないひとになってしまうので私もこれらを何かに

活かすことができるかなーなんて考えてる所存です。



で 結局何が言いたいかっていうと、(伏線長すぎ)

そういう人の欠陥って、愛しいもんだなと。

勿論本人はそれについて煩悶したりしてるわけだから

いくら私だって自分の欠点を可愛い、とは思わないけれど

垣間見える他人の欠点は人間くさくて、とても好きです。

それを隠そうとする姿も晒け出してしまうことも、

またとても善良であると思う。

それが何かに活かされていようといまいと。